緑のトンネル

Dscf1683 自分のことを「隠居」と言ったりする。いちおう、仕事らしきものはしているけれど、胸を張ってそういうのが恥ずかしい…そうなのかな。いやどうかわからない。
 横尾忠則『隠居宣言』(平凡社新書)を読む。「隠居は時間からの解放だ」(p107)。であれば、わたしはほんとうに時間から解放されているんだろうか。そうとも限らない。「隠居の思想の核は遊びである」ともある(p48)。それはそうだ、いまや遊びの要素がなければ体が受けつけない。全体的に無理ができなくなった結果、けっこうはっきり、いやなものはいや、と言っていたりする。好きなことしか続かない。結局、本を読んだり、さわったり、ということだけれども。
 
 きのう、宝ヶ池のブックオフに行った。狐坂のトンネルの手前で池の畔への道をとる。池のおもてにさざ波が立ち、周囲は緑のトンネルだ。新緑が笑っている。

 江藤淳『妻と私・幼年時代』武藤康史編の年譜、文春文庫、小林信彦『おかしな男 渥美清』文春文庫、武田百合子『日々雑記』中央公論単行本、岸本佐知子『気になる部分』白水社単行本、トーベ・ヤンソン『ムーミン一家とメイドのミザベル』ベネッセ、『小泉今日子×こぐれひでこ 往復書簡』SSコミュニケーションズ、など多数。
 本に埋もれている、モモ。『ワルシャワの七年』新潮選書は、先週、青空古本店で見つけたもの。ブルーノ・シュルツの訳者、工藤幸雄さんの随筆。これを読むのも楽しみ。
 あ、そうそう、大島弓子の「グーグーだって猫である(4)』が5月30日に出るらしい。うれしいな。

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うれしかったこと

Dscf1711 朝起きると、書きもの机の椅子の黒いクッションに、ローズ色のカーネーションがあった。うえの息子が夜中にそっと置いてくれたみたい。遅い朝食をすませた次男が出かけてゆき、紫陽花の花鉢をかかえてもどってくる。うれしいな。植物好きのわたしのために、どうもありがとう。

 午後、ゲラをきゅきゅっと集中して仕上げたあとは、アトリエのチラシをガケ書房と恵文社にもっていく。この小さなチラシは、近くのお店に置いてもらうために、こんど新しくつくってみたもの。フリーペーパー「コッコタイムズ」のほうは7号を出したばかり。こちらはうちうちに配っている。こうして並べてみると、なんだかうれしいな。Dscf1691

 ガケの棚を見わたして、雑誌『ななじゅうまる』、横尾忠則『隠居宣言』平凡社新書をとり、善行堂さんの棚から、前に来たとき我慢した、和田芳恵『塵の中』光風書店、をすいと抜きとって、レジにゆくと、そこに古本ソムリエさんが。
「どこかで?」「はい、文庫堂さんで」と、会話がすっとはじまった。板倉鞆音のこと、リンゲルナッツのこと、佐野繁次郎の装幀モダニズム展が大阪でもあるらしいことなど、瞬く間にひじょうに興味深い話を、惜しげもなく教えてくださる。気持ちのよい語らいに、わたしはつい、自分の探求本のことまで口走ってしまう。内心どきどきして冷や汗をかいていたけれど、ほんとうに楽しかった。またよろしくお願いします。
 うちに帰ってさっそく、古本ソムリエさん著『関西赤貧古本道』をまた、読む。古本に対する愛情の深さ、ユーモアのセンスがたまらない。そういえばわたし、北園克衛『真昼のレモン』昭森社の139番を持っています。どこで買ったのかな、忘れましたが、文庫堂さんか、下鴨か、知恩寺か。ああ、でも張りあう気持ちなどまったくなくて、こんなわたしでも「古本道」に少しでも近づけたかとおもうと、うれしいことなのです。

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秋野不矩

Dscf1690 会期も終わりに近い秋野不矩展をみにゆく。二階の最後の部屋にあった、男の顔のデッサンに、あっ、とおもう。秋野不矩画文集『バウルの歌』にあった絵だったから。ガラスケースに展示されているスケッチブックも、あの本にあったものだ。
『バウルの歌』(筑摩書房)は、ずっと以前、四条通りのブックストア談にいらした橋本さんという書店員さんに「この本とてもいいですよ」とつよく薦められて買った本。その言葉どおりだった。橋本さんは手書きのブックレビューのフリーペーパーを100号以上出していた。とても熱心なひとだった。数年前に新大阪店に転勤されたときは、さみしかった。いまどうしておられるのだろう。
 うちに帰って、『バウルの歌』を読み返す。デッサンの男は、インドのサドゥ(修行の僧)だった。
 ついこのあいだ、友人たちと美山に行くことになっていた。その日、伯母の告別式と重なって、わたしは行けなかったけれど、友人は、秋野さんの美山のアトリエをさがしたそうだ。土地のひとは、「ああ、秋野のおばあさんね」と言って、その家を指し示してくれたそうだ。


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石田波郷句集

 曇り空からいまにも雨が落ちてきそう。庭の植物もほっと一息つけるだろう。
 暑かったきのう、恵文社に目黒から来た cow books を見にゆく。白いトラックの荷台に積まれた棚に並ぶ本を眺めたあと、白川通りへ向かう。

 文庫堂さんで石田五郎『天文まんげ鏡』東京書籍、丸谷才一『横しぐれ』講談社文庫を買って外に出ると、古本ソムリエさんが表の本の箱の前に片膝を立ててしゃがんでいらした。古本と向いあってらっしゃると、風格があるなあ。ふと見あげられたので黙礼する。わたしはお顔を存じ上げているけれど、知らない人に挨拶されて、ふしぎだったのではないでしょうか。どうもすみません。

 なんだか気持ちが晴れたので、ガケ書房へ言って善行堂さんの棚から、『石田波郷句集』角川文庫、中村光夫『わが性の白書』講談社、小沢信夫『東京の人に送る恋文』晶文社、を買う。つくづく信頼できる棚だなあ、とおもう。ほかにもほしい本がたくさんがあったけれども、我慢する。

 石田波郷の名前はどこかで読んだ気がする。でも思い出せない。このごろは、なにかが記憶に残ってもどこから来たものかわからなくなることが多くなった。ひとつ、ふたつ、句を読んでいくと、落ちつく。これはたぶん、秋の句だろうけれど……。

  葛咲くや嬬恋村の字いくつ 波郷


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素白随筆集

Dscf1646 岩本素白『素白随筆集 山居俗情・素白集』あまりに好みのため、感想も書けませぬ。朝の読書でくり返しくり返し読む。辞書をひきノートに書き写す。もう一冊買っておきたい。

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トンネルを抜けると

Dscf1645『20世紀』上下、を読んだあと、『ああでもなくこうでもなく』3、『日本の行く道』を読んだ。『20世紀』が2000年で記述を終えているので、じゃあその続きをと、『ああでもなくこうでもなく』3を、続けて4と5も読もうと思ったけど、長くて疲れたので、そこをとばして2007年末に出た『日本の行く道」を読んだというわけ。
 まず、いい年をしてあまりに知らないことが多すぎて恥ずかしくなってしまった。それから、そこに書かれているすべてを理解したわけでもないし、すべてが正しいと信奉するわけでもないけど、橋本治の「歴史の検証から現在を知ろう」、という態度とその探求心の深さには感じいってしまった。
『20世紀』には、その精神が鮮明だったし、20世紀にいたるそれ以前のありようも、ちゃんと書かれていた。これが名著だとおもえたので、次々と読むことになった。『日本の行く道』を先に読んでいたら、こういうことにはならなかったとおもう。
 橋本治は、「ある歴史的なことがらが起こるのは歴史上の必然であって、その必然の前提となる過去を緻密に検証することで、現在を知ることができる」というようなことを、くり返し真摯に語っている。ときに突拍子もなく、大きく飛躍するその論考も、『ああでもなくこうでもなく』などで、ねばり強く語りかけてくる文章を追ううち、その思考の道すじがよくわかるようになるので、突飛でも突然の結末でもないことが理解できる。
 歴史の必然を考えたとき、過去にはさまざまな選択肢があったはずで、なぜあるひとつが選択され、その結果、ある必然的事実が起こったか、それを追う橋本治の思考はねばっこく、複雑で、なのにシンプルで、どこかかなしい。

 ……このまま小説読みができなくなる? と不安なので(そんなことはないとおもうけど)、長編小説を手元に置いておく。暗く長いトンネルを死ぬような思いをして自転車でぬけて行った、宝ヶ池ブックオフで真っ先に目にとびこんできた、イーヴリン・ウォー・吉田健一訳『ブライヅヘッド ふたたび』ちくま文庫。買ってきたときにはまだこの小さな八重桜の木も満開だったなあ……。
 それよりも先に、『素白随筆集』か『ボマルツォのどんぐり』が読みたかったりするわけだけど。

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考える人

Dscf1622 雑誌『考える人』最新号の、海外の長編小説ベスト100が面白い。朝の読書でほとんど読んでしまった。巻頭インタビューで丸谷才一さんが、
「小説という形式は、対立というか、他者をつねに要求する。だから抒情的な形式ではないんです。抒情的な形式は一人称的ともいえるでしょうが、長編小説は三人称的であって、別のものをいつも求める。そういう性格を小説に対して及ぼしたときに、小説に対立するかたち、反小説、アンチ・ロマンというのが出てくるわけです。それで小説の元祖の国でいちはやく『トリストラム・シャンディ』が出てしまう」
 として、
「日本の近代小説が夏目漱石から始まったとすれば、近代小説は反小説から始まったともいえるんですね。『吾輩は猫である』というのはそうでしょう」
 なんて書いている。私小説もその流れにあるそうで、吉行淳之介は、結局は楽で、「毎日書くためにはあれがいいんだよ」と言っていたという。面白い考えだなあ。
 アンケートも楽しい。荒川洋治さんは「(長編小説を)たくさん読むと闇がふかまってしまう」と書き、あげている10作品は「闇が濃くならない地点で出会ったものだけに印象が強い」としている。「闇が濃くならない地点で出会った」本とは、どういう出会いかたをしたんだろう。想像を刺激することば。荒川さんの一位は『ドン・キホーテ』。マラマッドの『もうひとつの生活』もあがっている。むしょうに読みたくなってネットでさがして注文してしまった。

 高野文子さんと鶴見俊輔さんの対談も楽しい。高野さんが遅読で、会話文など実際に話す速度でしか読めないし、風景もあたまのなかに浮かんでくるまでつぎに進めない、と言っているのは、自分もそうだから、なんだかうれしい。伊藤整の『日本文壇史』が面白かったというので、読みたくなるが、20巻以上だからなあ。悩ましいところです。

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鳥の王

Dscf1626 土曜日、アトリエから京都精華大に孔雀をスケッチしにいった。大きなケージに孔雀が五羽飼われていて、二羽が成鳥で、三羽はひな。ひなの尾羽はまだ短いが、頭にはちゃんと冠毛がある。子どもたちが孔雀が羽をひろげるのを「まだ? まだ?」と待ちかまえているのに、孔雀は大きな体のわりに意外と軽々と跳びあがり、木の枝にとまってはぶるぶると尾羽をふるわせるばかりで、ちっともひろげない。
 孔雀と言えば、フラナリー・オコナーを思い出す。少なくとも四十羽は飼っていたと、「鳥の王」という随筆に書いている。そこで読むかぎり、オコナーは孔雀の美しい姿とその傲慢な性格にとりつかれていたようだ。孔雀はそうとうに気の強い鳥で、トラックやトラクターが近づいても逃げるどころか、わきによけるのは車のほうだったとオコナーは書いている。けたたましい声をあげ、増え続ける孔雀に花や果実を食いちぎられ、オコナーの母親はいつもおこりっぱなしだった。
 結局、大学の孔雀は羽をひろげずじまい。暑くもなく寒くもない気持ちのいい、春の遠足のような一日だった。

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時代を知らない

Dscf1609_2 今朝の読書は、橋本治『20世紀 下』ちくま文庫、を自分の生まれ年から2000年までを読む。著者はあとがきに、「この本は、私がこれまでに書いた本の中で、最も個人的な本です」と書き、こう続けている。
「どう個人的かと言えば、子供の頃の私が、『自分の生きている社会はどっかがへんだ』と思っていて、『どんないきさつで"こんな時代"になったのだろう』ということを、最も強く知りたがっていたからです。(中略)もし自分の一生で本が一冊だけ書けるなら、そのことを書きたいとだけ思っていた——(後略)」
 20世紀、社会はいったいどんなふうだったのか、100年を1年ごとに整理して書かれている。そこには、矛盾だらけで、しかし連綿とつづく人間の歩みが、クリアなことばで語られている。たしかにここにあるのはそうとうに橋本治的なものなのかも知れないけれど、明晰な解説にあっさりと納得させられる。あすは父の生まれ年から上巻を読んでみよう。時代の流れを整理してかんがえれば、また詩も小説ももっと深く楽しめるかも知れない。時代に背を向けたものも、正面からぶつかっているものも、どこか影響を受けているものだもの。

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30年

Dscf1547 きのうの夜からはげしく雨が降り、風も吹いていた。先日ジュンク堂で買った、内田樹『疲れすぎて眠れぬ夜のために』を朝の読書で読み終える。面白かった。すぐに「何か読みたいんだけど」と言う家族に渡してしまったので、きちんと覚えていないが、このひとの文章を読むと、あまり固くならずリラックスしたうえで、身体感覚と勘をみがき、楽天的に生きよう、という気になるからふしぎ。ひじょうに自己主張の強いひとに煙にまかれた感もあるが、根っこが明るく見えるところがまあいいのかも知れない。

 小やみになるのを待って、鞍馬口の青空古本屋さんに出かけた。田中美穂さんの『苔とあるく』を読んだこともあって、歩道の植えこみや縁石に、ふんわりとみずみずしくもりあがる苔に目がゆく。ふと見あげると銀杏もけやきも芽吹いていて、風にそよいでいる。このままあつい夏は来ないような気がするが、そういうわけにはいかない。

 古本屋では、吉行淳之介『鞄の中身』、村上春樹訳『グレート・ギャツビー』、ポール・ギャリコ・建石修志装画『七つの人形の恋物語』、佐藤雅子『私の保存食ノート』、鷲田清一『京都の平熱』、橋本治『ああでもなくこうでもなく4』。
 橋本治のこの本は『広告批評』に連載中だが、『広告批評』が2009年4月号をもって休刊すると発表していることに、さきほど気づいた。30年の歴史を閉じるらしい。

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